四〇○年 時空の旅人
(Joy since 04.01.2003)
歌舞伎発祥400年。阿国は当時最先端の変わり者、つまり“傾(かぶ)き者”だったのに、今では伝統芸能なんて骨董品めいた響きに敬遠されがちな歌舞伎。とはいうものの江戸時代から生きてる役者がいるわけじゃなし。80歳超のベテランもいるが平成生まれの子供まで幅広い年齢層の現代人が演じてるんだもの。コンビニに携帯電話の普通の生活から江戸の暮らしへと、自在に行き来し変身する歌舞伎役者はまるで時の旅人のよう。そんな旅をちょっとのぞいてみよう。旅人のひとり、坂東弥十郎さんに根掘り葉掘り。(Joy)

6月は渋谷へ歌舞伎の出前。

大盛況のうちに幕を降ろしたコクーン歌舞伎『夏祭浪花鑑』(*1)について伺いました。

■ 同じ演目を普段の歌舞伎でやる時とコクーン歌舞伎との大きな違いはなんでしょう?

照明とか最後の部分(*2)とか立回りの部分が大きい違いで、基本的なところはあまり大きく変わっていないですね。それと、この劇場は道具とかが歌舞伎座と同じ(大きさ)の道具を入れられないということが逆に面白い部分になってるんです。やる側としてはほとんど歌舞伎座でやるのと変わってないです。全く同じ。ただ演出家が僕らが見過ごしてた部分、例えば「その気持ちじゃそれは言えないでしょう」といった、ついつい型だけ台詞の謳い方だけで流れてた部分を指摘してくれるので「あぁそうか」って。一個所そうなってくると、どんどんどんどん、あぁここも、ここもって思えてくる。

■ 気持ちの部分での指摘が多いのですか?

そうですね。生理的にそれは成り立たないんじゃないか、とか。まぁ歌舞伎の嘘もあるんですけど、それはそれで認めてくれて、でも全体の中での気持ちを整理してくれる。

■ 直前の中村座と小屋の大きさが違いますが

それは気にならないですね。

■ 通常は同じ演目でも上演の度に違う方達とやるものですが、コクーン歌舞伎のようにある程度固定メンバーの場合、一部が変わったことでの難しさはありますか?

全くないです。逆に新しく入る人達の気持としては大変なんだけど。それでもそんなには違わない。

■ 新メンバーだけ先にお稽古始めたと聞きました。

そうみたいですね。でも結局はキャッチボールですからね、お芝居は。皆とやらないと、いくら(別に稽古)やっててもね。でも夫々が頑張っています。獅童ちゃんも、鶴瓶さんが観に来てくれて良いことを言ったんだけど、「獅童さんは自信が出たねぇ」って。自分が人気が出たという自信があるからお芝居が堂々として。それは大事なことなんですよね。だから序幕の笑いが来る場面、笑いって一番難しいんですけど、何も企んでなくて笑いが来るのは彼が持ってるものです。

■ 冒頭の芝居ごっこの場面の若様ぶりが似合っていて面白かったです。

彼はもう内面が変わって来てる。だから良くなるんじゃないですか。今どうしても古典とか歌舞伎から離れることが多いから、それが増えてきたら何かが変わってる。だからどんどんかわると思います。

■ 演じるということに関して大歌舞伎との差はありますか?

ないですね。逆に芝居で泣いたりしてたのが今は本当に涙が出ちゃう。だから毎日泣いてます。

■ 昼夜2回泣いてらっしゃる。

それは気持ちだから、わざわざ泣こうというのではないので。団七が(牢から)戻って来た時、単にうれしいのではなくて、本当は死罪になるところを助かって戻ってきたんだから、嬉しさも普通じゃない訳じゃないですか。やっぱり涙も滲んじゃうくらい嬉しい。

■ それじゃ登場してすぐから泣いてらっしゃるんですか?

そう、泣いてるというか、つい涙が滲んでしまう。だからもう、団七と三婦はおのずとあそこの場面は違って来ているんですね。

■ コクーンとして再演、昨年の中村座を入れると三演目。串田さんの中でも何か変わって来ているのでしょうか?

それはそうじゃないですか。毎回観てて新鮮な発見があるから。「あ、ここはこういう方が良い」とか。特に団七内なんて随分変わったんじゃないですか。緊迫感が出て。みんなが本当に団七を助けようってしてるのがみえるし。だからあそこも涙が出ちゃう。

■ 昨年の中村座の時よりも言葉の意味が伝わってくるように感じますが。

だからその部分は気持ちなんじゃないでしょうか。多分。ただ喋ってるだけだと言葉として流れちゃうところもあるかもしれないけれど、気持ちがあるから。今まで気付かなかったところが立ってるのかもしれませんね。それは意図的じゃなくて。だからって前は手を抜いていたとかいうとそうじゃないんですが。

■気持ちの部分が細かくなったこと以外に中村座との演出の違いは?

気持ちに関しては前もそうだったけど、今度はまた違う部分、観てて気付かれた部分があるんでしょうね。あとはビジュアル的なことで、パトカーが出たりとか、団七内の照明(*3)とか。あの照明は中村座では使わないと思います。

■ 三婦と団七の関係が近くなったように思えました。

そうですか。今回は最初に団七と会ったところが自分の中で凄く流れてね、なんか、あぁ良かったなこのお芝居出させてもらってって本当に思ったんです。それはどういうのか...役で芝居が流れたんです。何とも言えない。そして勘九郎さんとの流れも変わるし。何があった何を相談した訳でもないんですけど。

■自然な感じがします。子供のまま大人になった二人がそこにいるような。

それがやっぱり登場人物なんでしょうね。徳兵衛にしても三婦にしても団七にしても。やっぱりどこか子供のまんま大人になったっていう。だから初めて会った磯之丞のために命掛けたり頑張る訳ですから。

■ 遊び心を持った大人達。

そう。でもそれを真剣にやってる。真剣に生きているんですね。周りからは子供に見えるかもしれないけれど。

■ 三婦さんは前回より夫婦仲がいいように見えますね。

あそこは夫婦のやり取りが増えてるから。勘九郎さんがお辰をやるので(*4)(早変りの)時間的な問題で、どうしようっていうのであそこを足して、結果良かったんです。二人が磯之丞をどっかへ預けようって悩んでるのもすごく良く判るし。あれも上手くできたんですよね。

■ いいひと達ばかりなのがわかる。

男が子供のまんま真剣に生きてられる。そんな男達を支えてる女たちが見えるじゃないですか。お辰もそうだし、お梶も、三婦の女房のおつぎさんも。それも見えてくるから面白いですね。

■ おつぎさんが三婦にカッコ悪いから着替えてけ、って言いますが、いい女房ですよね。喧嘩なんかして欲しくないのに送り出しちゃう。

それで三婦も「あ、そうか」ってすぐに女房の言うこと聞いちゃうっていうね。子供みたいなとこがある。

■ 渡世人とかヤクザじゃない一般人でああいう風に男気がある人達。

大阪も東京も違う形で昔はよくあったんでしょうね。来月松竹座でやる「名月八幡祭」の魚惣って役も三婦の江戸版ですから。

■ ああいう男達が町にたくさんいた?

そうでしょうね。昔はちょっとやんちゃだったジイサン、っていうのがね。

■ 泥場だけが見所のように思われがちですが、通してみると人間のドラマですね。

泥場でいつも終るのを今回は最後までやってる意味があると思いますね。

■ ラストにパトカーが出てくることに付いては?

あれは舞台稽古で急に決まったんですよ。昨年中村座が終った時に次はこんなのしかないよね、でもそれは...みたいに言ってたのが、舞台稽古で監督(串田さん)が「それやってみよう」って車を頼んでやった途端に「それだ!」。で、凄く良かった。物語として流れているから、最後出て来て「うわぁ〜」ってそれは興奮するけど、違和感ないじゃないですか。物語として流れているから、後で残るのはパトカーが凄かった、じゃなくて人間達の絡み合いが残るでしょ。だから興奮させるためにもいいし、すごく正解だったと思う。

■ 大阪の中村座ではどこまでも逃げていくようでしたが今回は違う印象です。

スローモーションになってこっちへ戻ってきた時点で団七と徳兵衛が映画の『明日に向かって撃て』の感じ。これから飛び出して行ってどうなっちゃうんだろうっていう。

■ 追い詰められてどうするんだ?で終る。まだバリエーションが作れそうですね。

こうなってくると、いろんなのやりたいですね。それくらい面白い。よくできてる芝居ですよ。

■ 改めて本の面白さが見えた気がします。

勘九郎さんも今凄くこれが気に入ってて「『三人吉三』よりよかった。もしかしたら研辰を超えたかもしれない。」って。

■ お稽古で苦労したことは?

よく聞かれるんですけど、もう初日が開いてやっちゃうと、苦労は何もないです。公演数が多いと喉がしんどくなるとか、その程度で。お客さんがこれだけ喜んでくれるから。毎日千穐楽みたいなカーテンコールでしょ。びっくりしますよ。でも、こういうのに麻痺したら怖いですけどね。普通のカーテンコールじゃ物足りなくなったら。

■ 来月は普通の舞台です。切り替えが大変ですね。

それはそれでね。4役あるので勉強がたいへんです。野田さんの時などはお稽古に入って野田さんから聞いて作り出すじゃないですか、でも松竹座やなんかは出来上がりを持って行かなきゃいけない。弥左衛門(*5)は中村座でやってますけど(演出が)全く違いますし。

■ 7月は上方風ですよね。こんぴら歌舞伎でご出演されてたと思いますが?

あの時は役が違っていた(梶原)ので。なのでちょっと緊張してます。小金吾討死の幕切れなんて台本が来たけど観たことがないんですよ。一所懸命あちこち調べてるんですが、いろいろ考えて仁左衛門のお兄さんと相談して作るつもりでいます。

■ コクーンは出ている時間が長い(*6)ですけれど、いつお勉強を?

それはたいへんですね。昼夜公演が終って家へ帰って11時ぐらいからご飯食べた後に台詞覚えたり資料勉強とかしてると2時とか3時になっちゃう。

■そして昼には舞台に立ってらっしゃる。キツイですね。

ちょっとばててます。ほかにも7月末にやる名古屋のむすめ歌舞伎(*7)の演出があるので。松竹座へ行く前に一日なんとかそちらへ行って細かいところを作っちゃわないと。

*1 夏祭浪花鑑

シアターコクーンで上演する歌舞伎第2弾として98年に初演され、本場のだんじり囃子とともに神輿が裏の駐車場から飛び込んでくる大胆な演出で話題となり、昨年大阪扇町公園内に特設された大阪平成中村座では団七と徳兵衛が裏から公園緑地へと逃げ出していく様子を見るためだけのギャラリーが裏手を埋め尽くし評判となった。公演概要、ストーリーなどは文化村のサイト

*2 ラストシーン

串田歌舞伎では趣向を凝らした演出に驚かされるが今回のラストシーンではサイレンが鳴り響く劇場内から団七と徳兵衛が裏の駐車場へ飛び出して、またステージへ戻ってきたところをパトカーが追い詰めるというもの。江戸時代から平成の現代へ飛躍する、まさにコクーン歌舞伎らしい演出。

*3 照明

通常の歌舞伎では白色光を全体にあて陰影は好ましくないとするが、団七内の場面では三原色を分解したライトを多方向からあてることで様々な影や色をみせ、義父を殺した団七の心情やけだるい夏の午後を表現した。

*4 二役

もともと団七と徳兵衛女房お辰の二役を別々の役者が演じる場合と一人の役者が演じるやり方がある。

*5 弥左衛門

『義経千本桜』のすし屋の場に登場する。大別して江戸風と上方風の演出方法があり、上方風での上演はあまり多くない。

*6 出演時間

3〜4演目を大勢の役者で交互上演する公演と違い今回は一つの演目を昼夜同じメンバーで演じる。現代劇ではあたりまえだが3時間30分を超す上演時間の歌舞伎では少ないケース。開演5分前にロビーでの喧嘩のシーンから始まりカーテンコールまでまとまった休憩時間がない上に昼夜の間隔も約90分という慌ただしさ。

*7 名古屋むすめ歌舞伎

男性だけの歌舞伎を女性の視点と肉体をもって演じることで伝統文化を現代に生かし、より身近なものにするとの目的で公演をしている名古屋の劇団。市川宗家の公認で市川姓を名乗る役者が三人いる。(ホームページ

・次回公演
  阿国ルネッサンス2003 名古屋むすめ歌舞伎
近松門左衛門作「冥途の飛脚」より恋飛脚大和往来
日程:2003年 7月31日−8月3日
会場:名古屋千種文化小劇場
演出:坂東弥十郎

つづく

    感想メール待ってま〜す(Joy)
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