歌舞伎発祥400年。阿国は当時最先端の変わり者、つまり“傾(かぶ)き者”だったのに、今では伝統芸能なんて骨董品めいた響きに敬遠されがちな歌舞伎。とはいうものの江戸時代から生きてる役者がいるわけじゃなし。80歳超のベテランもいるが平成生まれの子供まで幅広い年齢層の現代人が演じてるんだもの。コンビニに携帯電話の普通の生活から江戸の暮らしへと、自在に行き来し変身する歌舞伎役者はまるで時の旅人のよう。そんな旅をちょっとのぞいてみよう。旅人のひとり、坂東弥十郎さんに根掘り葉掘り。(Joy) |
歌舞伎はジャンルか劇団か!? ■書き下ろしの新作の演出と既成作品への新しい演出方法とで受け止め方は違いますか? 全く違わないです。同じことです。観る方にはパターンの違う歌舞伎な訳ですから。でもやることは一緒ですね。だから言葉とかが違うのと、なんていうんでしょう、やってる役者が全員歌舞伎役者だから歌舞伎というだけで。 ■今日も確かに歌舞伎を観たと感じました それは歌舞伎役者がやってるからでしょうね。あとお客さんの観念もあるんじゃないですか歌舞伎役者がやってるという。 ■歌舞伎役者じゃない人がやったら? 「実朝」は例えば文学座とかがやってもおかしくないし、成立するお芝居だと思います。だけど歌舞伎ではない。ただそれ(歌舞伎かそうじゃないか)はやってる役者が違うというだけ。 ■見比べたら面白そうです そうですね。セリフをああいう風に謳うというのは歌舞伎役者しか多分使わないでしょうから。(新劇では)もっと、とんとんとんとん進むことでしょうし、ただそれがプラスに出る場合もあるけれど、こういう難しい言葉はとんとんやっちゃうと何が何だか分らないまま終っちゃうこともあるでしょうね。 だから、例えば遊眠社とか新感線がこの芝居をこの演出でやったら何にも判らなくて終っちゃうかもしれない。まぁゼッタイこの演出ではやらないけれど(笑)。全然違った演出でやって面白くて判るように変えるでしょう。 ■えぇ、その劇団のパターン・型に合わせてやるでしょうね。そうすると歌舞伎は歌舞伎という型なんでしょうか? そう思って頂いて構わないと思います。それぞれ違う色合いがある。ただ、歌舞伎は歴史が長い分、色々なジャンルを飲み込んでいるんですよ。パターンがひとつではない。どうしても劇団というのはひとつのパターンに陥ってしまうし得意な分野に行ってしまうから。前進だけじゃなく後退もしてますが、その時代のお客にあったニーズでお芝居が生き延びるために400年間やってきた訳だから。歌舞伎って入口が無数にあるんです。今は球体に近いんですよね。色んなところに入口があって、どこへ入るかっていう問題なので。歌舞伎初めてだけど新作だから見易いかなと思って来られると、「実朝」はちょっとヘビーで(笑)。でも、いきなり重たいところから入ってくるのか、ストーリーが判らなくても「法界坊」(★5)のようにただ楽しめるものもあるし、ストーリー+面白かったけど何故か最後は感動したっていう「研辰〜」とかもあるでしょうし。それはすべてを飲み込むんですね。 ★5 法界坊 ■懐が深いですね だからまぁ成立して長続きするためにやってきたことがこうなってるんじゃないですか。世界でみても、こんなに全てのものが入っている演劇はないかもしれないです。例えばシェークスピアを歌舞伎役者だけでやることも可能だと思います。そういう意味では柔軟性がありますね、歌舞伎というものは。 ■どんな作品を持ってきても演れないものはないかもしれない もちろんそうでしょう。ただまぁオペラで歌えって言われたら歌えないけれど(笑)。ストレートプレイに関してはできると思います。そうでなければいけないと僕は思っているんですけどね。 ■これからの歌舞伎は球を大きくしながら続いていくんでしょうか? 大きさとしてはもう変わらないのかもしれません。呑み込んではいくけれども、歌舞伎が膨らむのではなくて歌舞伎の中にぎゅって入って溶けて同一化していく。すごく難しい言い方かもしれないですけど。やっぱり400年の中にいろんな時期があって、どんどんいろいろ吸収してきた。吸収はしてたけど進んでいた時期と円熟した時期と。だからそれで固まった演劇も歌舞伎十八番にしてもそうだし、古いお芝居で残っているのは。すごくよく出来てるんですよ。今回同時上演している「斑雪白骨城」の衣装は森英恵さんにやって頂いたんですけれど、江戸時代にはそういった人が沢山いたんですね。「助六」(正式外題「助六由縁江戸桜」)の衣装、それは衣装屋さんだけじゃなくて役者との相談だったりするかもしれないけれど、舞台装置の派手なのと衣装の派手なのと決してケンカはしない。たいへんな技量、才能を持ってたんですね。黄色の足袋ですよ。黒で裏は浅黄、赤の襦袢で、紫の鉢巻きして。それ以外にも派手な恰好はもっとありますけど、とにかくそういう発想がすごいですよ。あんな恰好じゃとても普段歩けない。 ■日常生活からは浮かばない発想 そうですね。それを思い付く才能がすごい。そうなるまでには色々なことがあって、最終的に円熟期になって固まったんでしょうけれど。その固まったものを核みたいにして持ってるんですよ歌舞伎って。それをもとに吸収しているから変形しないんですね、何をやっても。 ■揺らがない 例えば「研辰〜」の勘九郎さんの頭なんて過去にまったく無い鬘です。でも何の違和感も無い。で、役の雰囲気に合ってる。っていうのは、そんな鬘を相談して作れちゃうんです。「暫」(の鎌倉権五郎影政)とか、あんな頭なんて誰もしてませんよ。あれを考えた人は凄いと思いませんか?あんな風に固めて。パンクどころの騒ぎじゃないですよ。そうでしょ。パンクですっごいとか言ってるけど、とんでもない話です。ロックバンドのメーキャップだって歌舞伎のメーキャップからしたら全然大人しいと思いませんか。 ■隈取りなんてデフォルメの極致ですよね だから逆に新しいものをやりたい人は一回歌舞伎をとことん、そういった歌舞伎の古典、時代物というやつを観てみると新しい発見があるかもしれないですね。 ■当時初めて観た人の驚きは、今私達が昔からあるものとして受止める衝撃に比べて遥に大きかったでしょうね そう、初めてみた人は「何だこれ」って思ったんじゃないですか。でもそう思わせて拒否されない、そういう物を作っていた凄さ。本当に尊敬に値しますね。 ■その人達の頭の中がみてみたい そんじょそこらの演出家じゃ思い付かないようなこと。そして舞台装置、衣装も含めそれを全て備えていた訳ですから。そしてそれを実像にするスタッフも凄いけれど。 ■スタッフといえば、鬘合わせって地金だけサイズを合わせて髪型はみないんですね 新しい演目の時は舞台稽古の時に最終的に姿を見るけれど、そうじゃない時は信用できてますから。それが歴史でしょうね。いい意味での。 ■白髪の混ざり具合は7:3でとか言っただけで決まっちゃう それが伝統というもんでしょうね。因習ではない。悪いことではなくて、いいことのほうは伝統ですよね。 ■そういうスタッフが舞台を支えてる 全てが400年なんですね。だからってじゃぁ同じ事しかできないかって言うと、全然違う。新しいことやってみたいと言うとそれにも協力してくれる。 ■多くの人達が支えているから毎月芝居がスムーズに上演されているんですね そうです。 つづく |
|
|
|